時間結晶 という言葉を聞いたことがありますか?まるでSFの世界から飛び出してきたようなこの概念は、近年、物理学の世界で現実のものとして注目を集めています。この記事では、時間結晶とは何か、そしてそれがSFの世界からどのように現実へと歩みを進めてきたのかを解説します。

時間結晶とは:SFから現実へ

時間結晶 (Time Crystal) は、SFのような響きを持つ言葉ですが、現代物理学において注目されている新しい物質の相の一つです。通常の結晶が空間的に原子や分子が周期的に並んでいるのに対し、時間結晶は時間的に周期的な構造を持ちます。つまり、外部からの周期的な駆動なしに、あるいは外部からの駆動とは異なる周期で、自発的に系が振動し続ける状態を指します。

この概念は、2012年にノーベル物理学賞受賞者であるフランク・ウィルチェック博士によって初めて提唱されました。彼の最初のアイデアは、エネルギーが最低の状態である「基底状態」において、時間的な周期性が自発的に現れるというものでした。これは、空間的な結晶が基底状態で空間並進対称性を破るのと同様に、時間結晶は基底状態で時間並進対称性を破るというアナロジーに基づいています。

「ノーゴー定理」と非平衡系の時間結晶

ウィルチェック博士の提唱は大きな注目を集めましたが、その後の研究で、熱平衡状態にある系や孤立した系の基底状態では、時間結晶は存在し得ないことが理論的に示されました。これは「ノーゴー定理 (No-Go Theorem)」として知られ、特に渡辺悠樹氏と押川正毅氏による2015年の研究が決定的なものとなりました。この定理は、時間並進対称性の自発的な破れが、平衡系や孤立系の基底状態ではエネルギー保存則などの基本的な物理法則と矛盾することを示唆しています。

しかし、この「ノーゴー定理」はあくまで平衡系や孤立した基底状態に関するものでした。物理学者たちはすぐに、非平衡系、特に外部から周期的にエネルギーが供給される駆動系(フロケ系)においてならば時間結晶が実現可能ではないかと考え始めました。

そして2016年頃から、特定の条件下で周期的に駆動される量子多体系において、駆動周期の整数倍の周期で系が応答する「離散時間結晶 (Discrete Time Crystal, DTC)」または「フロケ時間結晶 (Floquet Time Crystal)」と呼ばれる状態が理論的に提案され、相次いで実験的にもその存在が確認されました。これは、時間結晶の概念が死んでいなかったことを示し、新たな研究の扉を開きました。

離散時間結晶 (DTC) の特徴

離散時間結晶 (DTC) は、以下の重要な特徴を持っています。

  1. 時間並進対称性の破れ

    外部からの駆動の周期を T とすると、DTCの状態は nT (n は2以上の整数) の周期で振動します。つまり、駆動が1サイクル進んでも系は元の状態に戻らず、複数サイクル後に初めて元の状態に戻るという、時間的な対称性の破れを示します。これはサブハーモニック応答とも呼ばれます。

  2. ロバスト性

    DTCは、系のパラメータや外部からの摂動に対してある程度安定です。つまり、駆動の強さや周波数が多少変化したり、小さなノイズが加わったりしても、時間結晶としての性質が簡単には失われません。この安定性は、多体局在 (Many-Body Localization, MBL) と呼ばれる現象と深く関連していると考えられています。MBLは、相互作用する量子多体系が熱平衡化せず、初期状態の情報を長時間保持する現象で、DTCを加熱による崩壊から保護する役割を果たすとされています。

  3. 非平衡定常状態

    DTCは外部からのエネルギー供給によって維持される非平衡な状態ですが、ある種の安定した定常状態と見なせます。エネルギーを吸収し続ける一方で、エントロピーの増大を抑え、秩序だった時間的パターンを維持します。

重要なのは、時間結晶は永久機関ではないということです。時間結晶が時間的な周期性を示すためには、外部からの周期的なエネルギー供給(駆動)が不可欠です。駆動を止めれば、時間結晶としての振る舞いも消滅します。

時間結晶の実験的実現

離散時間結晶の最初の実験的証拠は、2017年に複数の研究グループによって独立に報告されました。代表的な実験系としては以下のようなものがあります。

  1. イオントラップ

    電磁場を用いて複数のイオン(荷電粒子)を真空中に空間的に捕捉し、レーザー光によって冷却・精密に操作する技術を用い、イオン間の相互作用と外部からの周期的なレーザー照射を組み合わせることで、時間結晶(DTC)の振る舞いが観測されました。

  2. ダイヤモンド中のNVセンター

    ダイヤモンド結晶中の窒素-空孔 (NV) センターと呼ばれる微小な欠陥構造中の電子スピンを用いる系です。マイクロ波パルスによる周期的駆動により、NVセンター集団がDTCを形成することが示されました。

  3. NMR(核磁気共鳴)

    磁場中に置かれた原子核に外部から電磁波を照射することで、原子核がその化学的環境に応じた特定の周波数の電磁波を吸収する共鳴現象を観測し、化合物の構造を推定する手法であり、このような分子中の原子核スピン集団をNMR装置内で操作する系においても、時間結晶(DTC)の実現が報告されています。

これらの実験では、系が外部駆動の周期の整数倍の周期で振動すること(サブハーモニック応答)や、その周期性が一定範囲のパラメータ変動に対して安定であることなどが確認され、DTCの存在が強く示唆されました。

時間結晶

時間結晶の意義と応用への期待

時間結晶の発見は、物性物理学や統計物理学に新たな視点をもたらしました。

  1. 新しい物質相の開拓

    空間的な結晶と同様に、時間的な秩序を持つ物質相が存在しうることを示し、物質の相の概念を拡張しました。

  2. 非平衡量子多体系の理解深化

    時間結晶は本質的に非平衡な現象であり、その研究は、これまで比較的理解が進んでいなかった非平衡量子多体系のダイナミクスや相転移に関する理解を深める上で重要な役割を果たしています。

  3. 量子技術への応用可能性

    時間結晶が持つ周期性や安定性は、量子情報処理や量子コンピューティングにおける量子ビットの安定化、高精度な量子センサー、量子メモリなどへの応用が期待されています。例えば、時間結晶の周期性を基準として利用することで、より正確な時間計測が可能になるかもしれません。また、そのロバストな性質は、デコヒーレンスに弱い量子情報を保護するのに役立つ可能性があります。

しかし、時間結晶の研究はまだ初期段階にあり、実用的な応用に至るには多くの課題が残されています。例えば、より長時間安定な時間結晶の実現、より多様な物理系での時間結晶の発見、そして時間結晶の理論的枠組みのさらなる整備などが今後の重要な研究テーマとなるでしょう。

時間結晶:まとめ

時間結晶は、空間ではなく時間において周期的な構造を持つという、直感に反するような新しい物質の相です。フランク・ウィルチェックによる最初の提唱後、平衡系での存在は否定されましたが、外部から周期的に駆動される非平衡系において「離散時間結晶」として理論的・実験的に確立されました。これは時間並進対称性の自発的な破れの一例であり、多体局在などの興味深い物理現象と関連しています。

永久機関とは異なりエネルギー供給を必要としますが、そのロバストな周期的振る舞いは、量子技術への応用も期待されています。時間結晶の研究は、非平衡系の物理学に新たな地平を切り開き、今後の発展が非常に楽しみな分野の一つと言えるでしょう。

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